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開設日:1998年07月05日

更新日:2022年07月03日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2022年7月3日)

神の祝福の人生を生きよ

【聖書箇所】ヨシュア記 1:2-3

「…今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。」

これは私たち教会に与えられている神の約束である。遠い昔話ではない。まず、「今」であって「あとで」とか「いつか」ではない。信仰の歩みは常に、「今の出来事」として受けとめる時に始まるのだ。聖書で啓示する創造主なる神は、他の宗教に見られるような、人間の理解や納得の理想で塗り固め、一方的に拝んでいるものではない。神の方から具体的にアブラハム、イサク、ヤコブの神となって、イスラエルを興し、現実の歴史そのものの中に、神がいかに私たち人間を愛し、働きかけておられるかが示されているのである。人間の理想をかかげているのではない。人間の罪の現実とそこから救い出そうとする神の必死な愛のメッセージなのだ。「わたしがイスラエルの人々に与える約束の地」とは、これこそイエスの十字架によって与えられた「神の国」である。人の考え出した物語や空論ではない。神の救いの出来事がイスラエルを突破口として、人間の歴史の中に突入して来られた全く特殊な出来事なのである。神は人類救済の道を独り子イエスによって造られたのである。「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」。(コリント人への第一の手紙2:9)ところが、「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった」(コリント人への第一の手紙1:21)のである。愚かな出来事と見たからだ。しかし神はこれを信じる者を救うこととされた。自分の賢さに頼っている者は救われないこととされた。ただ信じる者が救われる。これが神の救いの方法なのである。「足の裏で踏む所はみな、あなたがたに与える」。信仰に立つなら救われ、さらに神に求める者は与えられる。今こそ、神が与える祝福の人生、この扉を開こうではないか。その鍵は幼な子のような信仰にある、と言うから面白いのだ。

大谷唯信牧師

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