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開設日:1998年07月05日

更新日:2019年12月08日

お知らせのページに「2019 Akebono Christmas」を載せました。

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

本音を本心に深めよ

(マタイによる福音書16:25) 大谷唯信牧師

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」

教会は本来、罪や病で苦しんでいる人々が救いに導かれ、神の愛に生きる喜びが得られる活気的な場と言えよう。ところが今日、その力を失っている教会が多く見受けられるのは残念な事である。一番の原因はそこでのクリスチャンが福音を客観的に教理として受け入れそれで良いと思っている事だ。聖書を外側から見て知的に学び理解している。その教理が正統かどうかを議論し、賛成したり異議を唱えたりで学び満足してしまうのである。だがそこにはすでに命はない。パウロの語る教理は自分の直面した体験から出ているのである。決して一般論を述べているのではない。自分の体験した命を証ししているのだ。私達もこれを追体験しようではないか。イェスのいのちが溢れ出るにはどうしたらよいのか。自分で取り組むべきであろう。「受けるより与えるが幸いなり」の一つの御言葉でもただ覚えればよいというものではない。まずやってみる事だ。しかしある程度できたからと言って満足しそこに留まってはいけない。それでは教訓程度である。もっと、とことんやってみる事だ。自分がいかに貧しい者かがわかると思う。悟りとは自分の貧しさに気づく事である。ブックマン博士はこれに気づくツールとして四つの言葉を提示して自分を妥協なく吟味する事をすすめている。絶対正直、絶対純潔、絶対愛、絶対無私である。人はこの世ではある程度買い被って生きるのも仕方がないのだが、いつの間にかその気になって自分が見えなくなるのが常である。しかし、絶対の光に照らし出された時は全く手も足も出なくなる。嵐の海に溺れたなら思わず「助けて!」と叫ぶであろう。プライドも理屈もない。本心である。ここが主と出会う領域なのだ。本心への深まりが深くなる程、自分の無力さに気づき同時に神の絶大な命が自分の内に注がれているのがわかってくるのである。自分にしがみついている間は見えず自分を捨ててイェスを信じた時に啓示(悟り)を受け一切がわかってくるのである。

2019年12月8日の週報から

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