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開設日:1998年07月05日

更新日:2021年07月25日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2021年7月25日)

御言葉と自分に向き合う

【聖書箇所】ヨハネによる福音書 4:14

「わたしが与える水を飲む者は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」

この御言葉は受浸直後のわたしに大きな課題となって迫ってきた。高1の時である。それは自分がそのようにはなっていなかったからだ。誰でも泉を見ればわかると思うが地底から湧きあがる水は砂地を巻き上げ水面を押し上げる程に勢いがあり、驚く程に透明で澄んでおり、時に大雨でにごってもまたまた澄んだ透明となり、池となり川となって地を潤していく。イエスの言われるクリスチャンとはこのような者であり、そうなれると思っていたのだ。しかし何もなかった。形だけのクリスチャンであったのである。情けなかった。だが今から思えばこの事が求道人生の出発となったと思う。軽い気持ちで何もわからずのままの受浸であったが、それがきっかけとなって真剣な求道が始まったと言える。教会と言う土俵の中で御聖霊はわたしに胸を貸し存分に取り組み、徹底的に罪の断罪に落としめ自我を砕いて下さったのである。その時、上の御言葉がこの身に現実となり、救いの確信となったのだ。すべてが信仰による恵みであった。イエスは「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16)と言われた。本当である。当時わたしは、「信仰義認」という教理すら知らなかった。救いは教理によるのではなく、生けるキリストの命にによるのだ。近頃、信仰によって救われるのだからバプテスマは必要ないと言う者が神学校に入学したとの事。霊にある者は肉と霊をすぐ判断できるが、この世のように肉にある者は霊がわからず判断できないのである。御言葉は知識として得るのではなく「お言葉どおりこの身になりますように」と願い、私達自身が「泉」となる信仰に立とうではないか。

大谷唯信牧師

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