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開設日:1998年07月05日

更新日:2020年11月29日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2020年11月22日)

魂の叫びを持て

【聖書箇所】使徒行伝2:37

「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの弟子達に、わたし達は、どうしたらよいのでしょう、と言った。」

初代教会誕生の時の彼らは人間的に見れば最悪であった。イエスが十字架で殺され、弟子達も迫害の恐れに打ち砕かれ、死の恐怖に自尊心も信仰も失い、肩を寄せ合って部屋の一室に閉じこもっているだけであった。世の人の求める力も魅力も何一つなく惨めな状態であり、ただ、イエスの言われた「エルサレムから離れないで父の約束を待て、まもなく聖霊によるバプテスマが授けられる」との御言葉にすがるほかなかったのである。それは信仰とか希望と言える輝いたものとはほど遠く、真暗な失意のどん底でそこに留まるしかなかったと言えよう。しかし、結果的にはそれがよかったのである。人は人間的なものがすべて打ち砕かれた時のみ主を仰ぐことができるからである。ほとんどは「主を仰ぎます」「信じます」と言っても、自分の決断であり自分の他力的判断である。決して完全に自己破産はしていないのではなかろうか。それだと一寸、思うように行かないと「こんな筈はなかった」とか「あの人は信じられない」「がっかりした」等の他への不満が出る事になる。だが他者への不満のあるうちは成長はない。すべての問題は自分にあると気付いてから成長は始まるのである。人は完全ではないから誰でも自分に正直に向き合えば、パウロのように「自分の欲する善はしないで悪がそれをする。わたしは何というみじめな人間なのだ」とローマ人への手紙7章が自分の出来事になるであろう。弟子達をはじめ、本物になるには皆、この道を通るのである。自分への苦しみ、失望を深く味わった者が深みのある人生を歩むようになる。喜びだけ追いかける者は薄っぺらな人間にしかなれない。

大谷唯信牧師

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