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開設日:1998年07月05日

更新日:2020年10月18日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2020年10月18日)

御言葉が神の力になる時

【聖書箇所】コリント人への第一の手紙1:18

「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」

「十字架の言」とはイエスの語られた言葉であり、イエス御自身である。「十字架の言」とは私達を罪から救い、永遠の命に入れて下さったイエスの十字架と復活の勝利を意味するのだ。さて私達はどうしたら救われ一切の不安から解放され、もっと自分らしく輝き、力強く生き生きと確信を持って生きられるのであろうか。「救いにあずかるわたしたちには神の力である。」と言うのだが・・・。そこまでなれてない自分がいるし、まわりにも努力しながらも中に確信が持てないと悩んでいる方もおられるとの声を聞く。何故だろうか。まず言える事は求める方向がちがうのである。罪を悔い改め神を信じ教会生活を忠実に守り、奉仕もする、あらゆる活動にも熱心に参加し重荷を負う。他からも喜ばれ、感謝もされる。しかしこれは外側の事であって内側の「内なる人」を強くする事に結びついていないため、やがては疲れ切ってしまうだろう。本物の信仰を得るためには、内側なのだ。すなわち、自分の中にある密かな罪、肉の働き(不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔等など)と正直に向き合う事である。キリストによってすべての罪は許されましたと言っても生きている間は次々と罪は出てくるからである。パウロのように「欲する善はしないで、欲しない悪は、これを行う」の現実を見、取り組む事が大切である。ついに罪に支配され「わたしは何と言うみじめな人間なのか」と叫び出し、神からの断罪の中で、その時、キリストの十字架と一つになり、キリストと共によみがえらされた確信に満ちた信仰に切り替えられるのである。この恵みの体得こそが基本であろう。

大谷唯信牧師

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