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開設日:1998年07月05日

更新日:2021年09月12日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2021年9月12日)

キリストにある本心で歩め

【聖書箇所】ヨハネによる福音書4:14

「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

イエスの御言葉は神の命でありイエスご自身である。イエスを信じ従っている者には、この恵みが与えられている。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネによる福音書15:5)も同じ恵みの譬えである。「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう」。何と力強い約束であろうか。たとえ自分のつながり方に自信がなくとも、その思いを持ってつながることを願い出れば、主御自身の方から御手を延べつながって下さると言うことである。「わたしが与える水を飲む者は」の飲むとは、イエスを自分の救い主として信じ、心にお迎えすることである。ぶどうの木に「つながる」ことも同じことを言っているのだ。ところで、この御言葉はあなたの中で真実な体験となって、生ける証しとなっているだろうか。これは、自分の中で正直に吟味する必要がある。自分の中で泉となって湧き上がる命、イエスの幹から流れ込んでくる力、これらを絶やさないために日々新たにこれに向けて軌道修正をし、立つべき本来の立ち位置を整えているだろうか。この一点を常に実感していることが大切なのだ。そしてそういう自分を御聖霊の助けを借りる信仰で見張り、管理する自分を持たなければならない。この自分とは、自我から立ちかえった霊なる本心である。本心は神の口から出る一つ一つの御言葉、即ち「いのちのパン」によって養われ、私たちの「内なる声」となって私たちを導く。何故なら本心の中にキリストが住んで下さっておられるからである。これは頭で理解したり分かったりする自我の領域ではなく、信じる領域なのだ。「もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうち(本心)にいまし、その人は神のうち(命)にいるのである。」(ヨハネの第一の手紙4:15)。神に対しては分かろうとするのではなく、ただ単純に信ずるのだ。そうすれば内なる声として神の言葉が与えられる。悪魔を信ずる者は「内なる声」も支配され、悪しき想いに振り回されるから気をつけねばならない。この世は悪魔に支配されているが、主は語られる。「世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信ずる者ではないか」。(ヨハネの第一の手紙5:5)

大谷唯信牧師

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