Home

開設日:1998年07月05日

更新日:2024年06月23日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2024年6月23日)

救いは十字架にある

【聖書箇所】ローマ人への手紙 6:6

「わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。」

 キリストの十字架は「我が罪のためなり」と信じてバプテスマを受ける者は救われるのである。その告白とバプテスマを受ける行為が私達の理解や考えを超えて神からの力となって私達を支えて下さるのだ。自分の中で思っているだけでは何も起こらない。イエスの十字架の救いを信じて一歩行動に移す。その瞬間から神の力が注がれ御聖霊が命となって私達の中に住んで下さるのである。キリストはわたし達の身代わりとなって神に完全に捨てられわたし達の命を贖って下さった。キリストの名によって神の子とされるのである。信仰によってキリストと共に十字架につけられ、キリストと共に死に、キリストと共に復活して生きる。これを大胆に信じる。これを信仰で生きると言うのだ。決して考え理解し納得できたからと言うのではない。そのように信ずるのである。十字架上のキリストの死こそキリストの命の最高の表現と言えよう。キリストの命の中に深く生きようとするなら、さらに深くキリストの死の中に沈み込むべきである。キリストと共に生きようとするならキリストと共に死ぬ決意から始まる事を覚えよう。サタンの狙いは常に十字架から引き離すことにある。いつの間にか十字架抜きのよみがえり、喜び、希望の生活を求めさせようとする。サタン自身が十字架から離れては真の神との交わり、人との交わりもないことを知っているからである。サタンも愛を語り正義をも語る。しかし目的は分離なのである。国も教会も家族もこの被害に遭っている。イエスが救い主となるにはカルバリが必要であったように罪人がキリストを信じる前にはカルバリが必要なのだ。十字架のキリストと復活を見よ!

大谷唯信牧師