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開設日:1998年07月05日

更新日:2024年05月19日

牧師:大谷唯信 副牧師:森元國文

住所:〒198-0063 東京都青梅市梅郷 3-904-3

週報メッセージ(2024年5月19日)

自らの霊の解放

【聖書箇所】使徒行伝 4:13

「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。」

 あれほど弱かったペテロ達が、聖霊の注ぎを受けて以来、人々が驚くほど大胆な人間になっていた。彼らは自らをキリストの十字架の死と復活の証人として宣言した。人々は彼らがただの無学な人である事を知り、その力を不思議に思ったと言う。聖霊はキリストの命なのだ。「ペテロは、ほかに多くの言葉で証しをなし、人々にこの曲がった時代から救われよと言って勧めた。彼の勧めの言葉を受け入れた者たちはバプテスマを受けたが、その日三千人ほどあった」。その後の使徒達の働きは実に驚くほどの力ある働きをしている。一体、何が起きたのだろうか。激しい迫害の中で死の恐怖に迫られ肉の力は全くの無力で頼りにならず、ただ祈り神に寄り頼むしかない絶望の中で聖霊と出会っていく状況を見る。「心を尽くして主に信頼せよ。自分の知識に頼ってはならない。すべての道で主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5-6)の霊の原則になっているのである。パウロも度々そのような経験をしている「わたしたちは極度に耐えられないほど圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまい、心の内で死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った」。この時に神が救い出して下さった事を告白しているのだ。即ち、肉が砕かれキリストからの霊が注がれ彼らの霊が開かれ解放されたのである。これが大切なのだ。聖霊によって自らの霊が解放され、その霊で言葉を語る時、その言葉は生きた力のある言葉となり相手の霊に生きた影響を与えると言う事である。霊が開かれていないならば言葉は理解されても神の言葉には触れていないのだ。ならば私たちの課題は「自らの霊を解放して」語る事であろう。

大谷唯信牧師