2025年1月12日
教会は神の力が働く
【聖書箇所】ガラテヤ人の手紙 1:10
「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい」
人の生きる中心軸の問題である。ただ自分の信念に生きればよいと言うのではない。近年、「自分なりの生き方」、「個人の自由」がもてはやされている風潮がある。そこにプライバシー、人権問題等が出てくるため、かえって自分らしくない不自由な生き方になっているのを見る。不確かな自己を中心軸にしているからだ。
パウロはイェスとの出会いによってキリストを中心軸に据える事を体験した。すると本来求め理想とする生き方が実現して来たのである。人を愛し信頼し、人からの好意も喜んで受け、律法的ではなく真に自由に忠実に神と人に仕える自分になっていったのである。どんな逆境、困難にあっても自由であり心は常に愛に解放され、感謝に満ち喜びが泉のように湧いている自分を見た。
これこそ今の時代に求められている自立した生き方ではなかろうか。自分を中心軸に据えている人は一見強そうに見えるが、実は弱い。自分の事だけで一杯一杯ではないか。結局、自分、自分と言って自分にしがみつき、自分を守るために人の顔色を窺うようになってしまう。人は誰でも自分中心になると、この悪循環の流れにはまってしまうものだ。
神は私たちにキリストの教会を誕生させて下さった。今のこの時代、教会ほど純粋に人を愛し受け入れ合い、神の愛を中心に喜びも悲しみも分かち合い、常に前向きに希望に向っている集まりが他にあるだろうか。ないと思う。教会は人ではなく神が造られたのである。神は教会を通して人々を本来の生き方、健全な人生に目覚めさせて下さるのだ。教会には神の力が働いておられるからである。
大谷 唯信 牧師